家父長制と移民男性

先日秋学期が終わり、アメリカの大学では冬休みが始まっています。この冬休みをどう過ごすかは人それぞれ。ほとんどのアメリカ人学生は実家に帰省して、家族とクリスマスやニューイヤーといった祝日を過ごすようです。留学生はというと、自国に帰省する人もいれば、国内を旅行する人もいます。ちなみに、私はそのどちらにも当てはまらない、“大学居残り組”です。留学生というと、「どうせお金持ちなんでしょ」とか「金持ちの子どもは遊び歩けていいよな」とかいう偏見を持たれたりするかもしれないんですが、大学を脱出できずにいる留学生もここにいるよ、ということをここに記しておきます。とは言え、クリスマスは州都に住んでいる知り合いの先生のお宅にお邪魔する予定で、今から楽しみです。私の中学時代のALTの先生なんですが、なんと中学卒業以来の約6年ぶりの再会なので少し緊張しています。他にも年明けにはテネシーにいるトビタテ同期生がオハイオに遊びに来てくれるのでそっちも楽しみ。

 

さて、こっちの大学では多文化ソーシャルワークをテーマに学んでいるのですが、ソーシャルワーク支援の一部である相談援助、いわゆるミクロ領域の支援はネイティブ同等の語学力が必要なので、こちらでは主にメゾ・マクロ領域から学んでいます。

秋学期に履修していた授業の一つ、「Race and Ethnic Relations(人種及び民族の関係)」はまさにマクロの視点から文化・人種・民族の衝突とその打開策について学びました。アメリカ社会に未だに根強く残る黒人差別だけではなく、ラテン系移民、アジア系移民に関連する問題点を何冊かのノンフィクション本を通して考察したのですが、中でもアジア系移民を題材にした書籍は考えさせられることが多かったので、ここに記録しておきます。*かなり堅苦しい内容です...

 

-I LOVE YOUS ARE FOR WHITE PEOPLE

タイトルからしてなかなか斬新で目を引くこの本。著者はLac Suという方で、自分自身のインドシナ難民としての経験(主に著者の幼少期)を描いています。このタイトル、「I Love Yous Are For White People(「I love you」は白人の人たちのためにある)」は、白人嫌悪の気質がある著者の父親がLacに突然「I love you」と言われたのに対して、それは白人の文化だと激しく叱責する場面からきています。著者と彼の家族はインドシナ難民としてアメリカ国内で言葉の違いや学校文化の違い、アメリカ人からの言葉による激しい差別等、多くの困難を経験します。その中でも顕著に描かれているのが、著者の父親の厳しさと激しい干渉性です。全章を通して、著者の教育や友人関係に対する父親の過度な干渉や、度重なる叱責の経験を鮮明に描き出しています。Lac自身の幼少期におけるアメリカでの生活をメインに描かれているこの本、実は"移民の子ども"が経験する困難や苦しさだけではなく、その裏で"家父長制社会からの男性移民"がぶつかるであろう新天地での困難を淡々と明らかにしています。

 

-家父長制の悪は誰か

家父長制は宗教や文化的風潮、法制度等を根拠として形作られる社会システムで、家族という単位において、男性(家父長)が女性よりも家庭内で優位に立ち、権力を保持するという特徴を持ちます。基礎となるのは家族という単位ですが、社会の最小構成集団である家族内で男性が権力を有するということは、その社会全体において男性優位となる構造が自然と形作られます。儒教の影響で日本を含む東アジア諸国ではこの家父長制の風潮が社会に未だ根強く残っていると言われています。

 

家父長制が最近よく取り上げられる領域は、ジェンダー学や女性学、家族社会学などでしょうか。私も実際ジェンダー学の授業を秋学期履修していましたが、家父長制を意味する"Patriarchy"という単語はよく出てきました。これらの領域で家父長制が語られるとき、大抵は"特権を持つ男性"と"抑圧される女性"という構図が強調され、男性こそが社会において男女間の不平等を強化する悪の権化だというような口調で語られるようなことが多い気がします。こんなことを言うとフェミニストの方々(あくまでも私自身もフェミニストです)に批判されてしまいそうなんですが、男性もほとんどの人は女性を抑圧したいと思って生きているわけでなく、多くは社会のダイナミクスの中で無意識にジェンダー間の不平等を強化してしまっていると言ったほうが正確だと思います。男性を再教育すればこの問題が解決するといったそんな単純なものではないわけで、社会全体のシステムや構造にメスを入れる必要があるのではないかなと感じます。例えば男性の方が女性よりもあらゆる面で優れているとするステレオタイプを付与するメディアとか。

家父長制を含む男女間の不平等の原因を男性に置くというのは的外れと言っても過言ではないと思います。同時に、家父長制を"男性が利益を享受する"システムだと理解するのは危険です。Lacの書いたこの本は男性がいかに家父長制から負の影響を受けているかという気付きを与えてくれています。女性視点から家父長制を見る、のではなく、男性視点から家父長制を見ると家父長制とうい社会システムに隠されている問題を理解することができると思います。

 

-社会経済的地位の変化と家父長制

移民のメンタルヘルス研究の領域では多くの研究が社会経済的地位の変化がメンタルヘルスに与える影響について指摘しています。特に難民の場合、母国の社会状況が原因で自らの意思に反して他国に逃れてくるので、母国では一定の社会的地位を保持していた難民がいることは容易に想像できます。Lacの父も同様で、ベトナム国内で移住前に住んでいたコミュニティー内では成功者として認識されていました(成功者としての地位を確立するまでは相当の苦労をしていたようですが)。一転して、アメリカ国内では低賃金の肉体労働に従事しなければならない状況におかれます。母国ベトナムで保持していた"社会的名声と名誉"は一瞬にして崩れ去ります。この社会的地位の変化がLacの父の精神にどれだけの苦痛を与えたかは想像するに易いでしょう。一方、ここで加えて述べておきたいのが、家父長制と社会経済的地位の変化の関係についてです。予め述べておきますが、ベトナムも日本や韓国、中国と言った東アジア諸国と同様、儒教(特に中国との国境を有する北部)や土着風習の影響を受けて家父長制の風潮が根強く残る社会だと言われています。Lacの父もこの家父長制の根強く残る社会の影響(家父長としての特権を家庭内で有する)を強く受けていたに違いありません。しかしながら、アメリカに移住後、Lacは学校教育を通じて父よりも早くに英語を習得していったので、外出する際にLacの父は自らの息子に言語面で頼らざるを得ない状況に置かれます。また、本の10章で、Lacの父が慢性リウマチと鬱であると診断された際の状況を次のように述べています。"He hobbles around the house complaining that no one in the family respects his authority because of his weakness(彼は貧弱さゆえに家族のだれも彼が持つ権力を尊重しないと嘆きながら家の中をよろよろと歩き回っていた。)." 言葉も通じず、十分の稼ぎも得られない上に、家族に看病されなければならないその状況は、Lacの父の社会的地位の変化のギャップをより大きいものにしたはずです。家父長制社会から逃れてきた難民であるという状況が社会的地位の変化によるLacの父の精神的苦痛を強化したと言えます。この彼の状況を鑑みると、Lacの父の過剰とまで言える厳しさにも頷けます。Lac自身は父の厳しさの理由についてこの本の中で述べてはいませんが、私が推測するにLacの父の厳しさは彼の家庭内での権力を維持するための、移住による地位の変化に対するリフレクションだったのではないかと思います。

 

-家父長制が家父長に付与する責任感

また、Lacは父と他のインドシナ難民との関係についても述べています。Lucの父は頻繁に他のインドシナ難民と集まり、互いの子どもの学校での様子について情報を共有していたそうです。Lacはこのようにも述べています。“They obsessively compare their children’s progress in America(彼らは異常なくらいに子どものアメリカでの進捗を互いに比べていた).” Lacの父が異常なまでにLacに対して干渉的であったことも理解ができます。家父長制は男性に家庭内での権力を付与すると同時に家父長としての責任も付与します。Lacの父は家父長として、新天地での息子や家族の成功に対する責任を強く感じていたに違いありません。さらに他のインドシナ難民からの自らの家庭に対する目も気にしていたことでしょう。家父長としての責任も、Lacの父の厳しさを増強させたと考えられます。

 

-問題の普遍性と移民の複雑性

Lucの父が経験した精神的苦痛は他のインドシナ難民やアジア系移民にも共通しています。本の中では、"Most of them can relate to what I'm going through(彼らのほとんどは私の経験に共感してくれていた). They have Asian fathers of their own who scrutinize and beat on them(彼らは厳しい上によく叱責するアジア人の父親がいた。)"とLacは自身の友人らについて述べています。家父長制社会からの移民男性は社会経済的地位の変化と決して順風満帆とはいかない新天地での家父長としての責任に苦しめられる可能性をこの本は示してくれています。日本の場合、長期滞在移民を見た時に、日本人男性と外国人女性の国際結婚の割合が多く、日本の移民研究においては移民女性に関しての研究が多いように見受けられます。しかし、つい最近の入管法改正によって多くのアジア人男性が日本国内に流入し、今後日本人女性と外国人(アジア人)男性の国際結婚や、母国から家族を連れて長期的に日本に滞在するアジア人男性が増加する可能性を無視できない状況であると言えます。日本の移民研究からはなかなか得られない視座をLucの著書からは得ることができます。

 

今回は家父長制と移民男性の関係について記してみました。

 

Kenta